COLUMN
2025.12.03
vol.625「挑戦する心は何歳になっても」
萱森 友之(業務課)
業務課の萱森です。
12月に入りました。我々社会人も忙しい時期ですが、学生のみなさんも今年はかなり忙しかったようです。
少し前に、知人のお子さんにIT系の科目についての勉強を教える機会がありました。教えた子の学業の成績が、今回教えた科目だけですが約40%も底上げされたことを評価していただいたのか、今度は友人の子どもの勉強も見てほしいと頼まれました。
プログラミングが好きでその科目を選んだはずなのに、実際に学び始めてみると「思い描いていたものと違う」。こうしたギャップは、我々もジャンルは違えど何かしら一度は経験しているのではないでしょうか。
前途有望な若い人たちを育てるのも、我々年配世代の役目かなと思い引き受けたのですが、実際に話を聞いてみると、指導役の説明不足と「作業の丸投げ」により、基本的な技術が全く身についていない状態でした。
この状態で「やれ」と言われても、何から手を付ければいいのか分からず、本来は楽しいはずのプログラミングが、ただのつまらない作業に感じられてしまい、嫌いになりかけていたとのことです。
この状況、我々社会人の現場でもよく耳にする話ですよね。幸い、友人の子は「どこが分からないか」が自分ではっきりしていたので、その背中を少し押してあげたところ、「すごく楽しい!」と言いながら、その日はなんと6時間も勉強していました。私が帰るときも「まだやりたい」と、自主的に勉強を続けていたそうで、こちらまで嬉しくなってしまいました。
友人や子どもからは「毎週来てほしい」と言われましたが、さすがにそれは難しいので、「月に一度くらいなら来られるかな?」という、少し曖昧な返事をしてその日は別れました。
あれだけ頼りにされると嬉しい一方で、プレッシャーも相当なものです。私も万能ではありませんから、教えられるところは良いのですが、当然ながら分からない箇所も出てきます。そのときに、言い訳せずに「そこは知らない」と正直に言えるかどうかは、とても大事なことだと思いますし、下手な知ったかぶりは、かえって信頼を失う原因にもなりかねません。
また若い頃は、「与えられたことだけを淡々とこなす」ことが格好良いと感じてしまいがちで、人に頭を下げて教えを乞う行為を嫌がる人も多いように思います。
私自身は「失敗は若いうちにしておけ。年を取ってから未経験を取り返すのは難しい」と教えてくれた先輩がいたおかげで、良い環境に恵まれたなあと、今でも感謝しています。
今、私は50代になり、「新しいことを始めるのがいかに難しいか」を身をもって実感しています。若い頃のような“ノリ”という勢いが、どうしても出にくくなるんですよね。
それでも有難いことに、私の周りには、この年齢になっても本気で叱ってくれる人、頼ってくれる人、さまざまなスキルを持った人たちが大勢いてくれます。
おかげで、IT・DIY・農業など、まだまだ新しいことに挑戦しようという意欲は尽きません。
皆さんは、最近何か新しいことを始めましたか?来年もまた、あわただしく忙しい一年になりそうです。